見る才能

見る才能

わからないもののひとつに、芸術がある。

私は博物館や美術館は好きなのだが、どちらかといえば歴史的発掘とか、遺跡なんかを見るほうがいい。

こういうものの「善し悪し」はわからないが、少なくともその品の背景や歴史を読み取ることはできる。はるか太古の昔に、誰かが使ったものや造ったものを見ると想像がふくらむ。

史実の理解は低いほうだとは自覚しているが、解説があるから十分に楽しめる。

意外とわからないのが、写真だ。

写真は、ともすると素人の撮影したものでもきちんとプリントされて飾られていると「ほぉ、いいものだな」などと思う。だいたい自分が撮影した子供の写真だって、なかには「なんか応募したろか」とご満悦になることがある。

逆にいえば、芸術的価値の「写真展」を見ても、今ひとつ、そのすごさが実感できない。

特に風景写真などは、素人目でみると「わたしでも撮れそうだぞ」などと(失礼ながら)思ってしまう。いや、絶対にそうは撮れないのだ。簡単そうに見えてそうではないのがカメラのアングルとかシャッターチャンスとかなのだろうとは思う。

思うけれど、展示を見ていても「うわ、すごいな、さすがプロは違うな」という視点がうまれてこない……。

絵画も、しかり。

特に写実的ではないもの、なにか前衛的? なものとか、ただ絵筆を書きなぐったようにしか見えないものもあり、中には「うちの子供もこんな絵書いてたぞ?」と思ってしまうことあり。

これもそういうセンスのある人が見ればわかるのだろうし、素晴らしい絵画を見るだけで衝撃をうけ、感動する人も確かに存在するのだろう。

だけど、たとえば私にとって一番身近な存在である夫と、美術館をめぐっても「素晴らしい絵だったわ」などと感動にあふれながら語り合う、ということはほとんど、ない……。

「い、いまいち、わからなかった」

「俺もー。解説よんでもわからんかったわ」

みたいな、ええ、大変庶民的な感想しかかわせないのですよ。

描く、あるいは撮影する側だけでなく、芸術は見る側にも「才能」が必要なのではないだろうか。感性の問題なのかもしれない。

たまに美術館で感に堪えぬとばかりに、大きな絵画の前にひとしきりたたずんで見つめている人を見ると、(この人にはこの絵の素晴らしさがわかるのか……)と、絵画そっちのけで、その「人」を鑑賞してしまう私である……。

ファスティング

ソウタイセイ理論

相対性理論といえば、20世紀の大天才アインシュタインが考え出した理論です。詳しいことは・・・一切わかりませんが、知っているとすれば大枠ぐらいでしょうか。

アインシュタイン自身が残した言葉で印象的なものがあります。熱いストーブの上に手を置いていたら、1分が1時間に感じられます。嫌な時間は長いものです。

それが、好きな女の子と一緒にいる1時間になると、逆に1分より短く感じられる。これが相対性というものなんだよ、というエピソードです。

本当にそうだなあと思います。物理というよりも哲学的な話だなと思ったものです。仕事をしている時の1時間は嫌になるほど長いものです。

それが1時間のドラマを見ていると、あっという間に時間は過ぎてしまいます。相対性は私たちの生活そのもので、人生の鏡ともいえるなあなんて思うのです。

特に、好きな人といっしょにいる時間。これは本当に共感するものがありました。

恋が始まったばかりの時は、誰しも「もっとこの人といたい」と思うものです。帰りたくないと思いますし、一時だって離れたくないと考えて当たり前ですよね。

その頃の時間はとても短くてあっという間で、思い出してもマッチの先ほどしかなかったのでは、という感じです。そう、過去を振り返ってもあっという間の出来事なのです。

その時体感していた時間がそのまま思い出として記憶されているということですよね。

ストレスで胃に穴があくほど嫌な仕事をしていた時期がありました。たった4ヶ月でしたが、死にたくなるほど嫌な時期でしたから長く感じたものです。

どうやってやめようか、そのことばかりを考えている毎日でした。上司には嫌味を言われながらセクハラされて、今考えれば訴えればよかったと思うほどです。

その頃のことを思い出すのもイヤですが、考えるだけでその頃感じた長い時間の感覚を思い出してしまいます。

相対性とは心とリンクしているものだと実感します。私たちが感じる心がなければ、半分ぐらい存在しないものかも、と思えてくるのです。

もちろん詳しいことはまったく知りませんし、スペースシャトルの宇宙飛行士と私の時間の進み方が違うなんて、頭では理解できても感覚が追いつきません。

ですが、そんなに難しいことを実にわかりやすく言ってくれたアインシュタインはやはり天才なんだな、と改めて思いました。